魚の切り身、大海を泳ぐ。

 

今の子供は「魚が切り身の状態で海を泳いでいる」と認知していることをご存じだろうか。小学生が切り身が泳いでいるのをたまたま見た、というわけではなくて、スーパーにある切り身状態のものでしか魚見たことが無いためにそのような思考に陥るのだろう。環境がそうさせているのである。

 

この話を聞いた時は「最近の若者は、、、」みたいな事を思ったが、私にも同じような事があった。それはタコの色だ。

 

みんなも同じように認識してないだろうか。「タコの色は赤色だ」と。だが、実際は赤褐色だ(これは個人の感性によって異なるのかもしれない)。でもどうだろう。スーパーで見るタコの刺身なんかも、下処理で茹でてあり、赤々としているものだし、デフォルメなのかなんなのか、たこ焼き屋のフザケたように書いてあるタコの絵も赤色で塗装されている。別に自分を擁護するわけではないが、これなら間違えてしまっても仕方ないのではないか。

 

 

事実、人生において、環境というのは非常に重要だ。一説によると、個人の能力というのは環境(才能)と努力の半々で形成されているらしい。これまでの人生を振り返ると家庭・学校とそれなりに良い環境で過ごした。指標は絶対的なものでは無いのだけども、そう感じるということは悪くはなかったんだと思う。だからもし親が「タコは赤色だ!真っ赤っ赤だ!」みたいなことを言う家庭だったら、今の自分は一体どうなっていたのだろう。想像すらすることが出来ない。

 

可能性は限りなく低いが、もし家庭を持つような事があるとすれば、そのときは私という父親が、子供にとっての魚の切り身になってないことを祈る。そう切に願っている。