ブロッコリーとの死闘の日々

私はブロッコリーが食べれない。

 

そもそもビジュアルが気に食わない。あれはただの木だ。みんなには緑が生い茂るアマゾンを想像して欲しい。そのジャングルの中で壮大にそびえ立つ木を口にすると、私は口内の水分を全部根に吸われてしまう。シチューなどに入っていて表面がコーティングされているものは辛うじて食べることは出来るが、一生自主的に食べることは無いだろう。

 

親が「大人になったら嫌いな食べ物はなくなる」みたいなことを言っていたが現に減った。幼少期の嫌いな食べ物を数え上げればキリが無いが、不思議とほとんど食べられるようになった。このような現象は味蕾が関係していると思う。人の感覚は肉体と同様に年を重ねると衰えていく。つまり味蕾の衰弱によって食べれるものが増えてくるのだ。年を取れば脂っこいものを食べられなくなるが、その代償としてこういった苦手なものが食べれるようになるのは何だか楽しい。

 

 

私の味蕾がタフなのか、それともよほど生理的にブロッコリーが嫌いなのかは分からないが22歳になった今でも嫌いな食べ物として健在している。ただこのまま味蕾が衰えれば死に際にはなんとなく食べたいと思うかもしれない。最後の晩餐がブロッコリーになるのだ。



この好奇心が日々の活力になっているように思える。そんな妄想を糧に今日も生きている。