退屈な毎日も当然のように過ぎてゆく

 

年明けに帰省した際にあまりにも時間を持て余していたので、Googleストリートビューで幼少期に住んでいた大津という所を見ていた。Googleストリートビューは凄い。住所を打ち込みさえすれば大きな道は全部見ることが出来る。このまま発達すれば、高い金を払って行き軽犯罪被害の危険がある「海外旅行」なんてものは無くなるかもしれない。

 

大津の風景は新鮮だった。なぜなら何年も住んでいたのにほとんど忘れていたからだ。まるで初めて訪れる街の景観を眺めているようにも感じた。人は忘却によって精神の均衡を保っている。ダーウィン的に言えば、忘れる能力を受け継いで生き残った子孫が我々なのだ。嫌な記憶は脳から消えていくというが、日常の記憶もある程度忘れていってるのだと思う。

 

ただ記憶が失われてしまうのはそれほど悪いことではない。忘れることで過去を懐かしむことができる。退屈と戦うためには新しいことを始めるより、案外昔のことを思い出すのが良いのかもしれない。

 

年をとると新しいことはどんどん減って、過去の光景の繰り返しだと感じる事が増えた。事実新しい発見はそう無く、日々のルーティンの中で生きているわけであるが、新たな体験をしていると思わせてくれるものに出会えた。

 

そんな幻影を泳ごう。