レンタルDVDショップの衰退に思う事

どんどん減りゆくレンタルDVDショップ

先日少し遠くへ自転車で向かっていると「閉店」と紙が貼られたレンタルDVDショップが建っているのを見かけた。無理もない。このご時世で個人のレンタルDVDショップを経営していくというのは「火打ち石で毎日火を起こします」と言っているようなものだ。

インターネットを介してコンテンツが流布されるようになってからまだ間もないが、ネットラジオ、動画投稿サイト、また近年では定額での音楽・映画配信、民放のネット進出など様々なメディアがインターネットに集約しつつある。私が中学の頃母が「TSUTAYAが潰れたら日本は終わりね。」みたいな事を言っていた。もちろん母は経済評論家でもなくTSUTAYA雇われ店長でもない。当時それほど勢いのある企業であったことの隠喩である。ところが現在ではどうだろう。業界最大手ですら「TSUTAYAオンライン」等と称して対策を打っている。それだけインターネットの進歩は凄まじい。

 

散々お世話になったTSUTAYAの思い出

かく言う私も中高はTSUTAYAのヘビーユーザーであった。

帰り道にDVDの旧作を4本借りて家で見たり、学校の制服を着ているにも関わらず、友人とアダルトコーナの暖簾付近を出たり入ったりしたものだった。その中でもひときわ思い出深いのがCDの中古コーナーだ。TSUTAYAではレンタルCDとして使用していたものを中古としてワゴンで売っている。これが私にはお宝さがしをしているようでたまらなかった。知っているアーティストのCDを見つけると、大して聴きもしないのにすぐさま買って家に帰った。元がレンタル用なので、バーコードとタイトルが記載されたシールがべったりケースに貼られているわけではあるが、別段気にも留めなかった。見つけたという喜びだけで満足だった。

その後大学に進学したが、TSUTAYAを訪れる機会はめっきり減り、当時ぼんやりと思い描いていた「大学生になったらR18コーナーに入る」という夢もなんとなく叶えられずに終わった。

 

 

時代とともに廃れるもの

技術の進歩は様々な不便を取り除いてきている。欲しい知識はすぐに見つかり、交通機関の発展により移動時間が短縮され、そしてスマートフォン・PCの普及により遠く離れても手軽に意思疎通できるようになった。技術の発展は歓迎されるべきであるが、それによって失われるものも出てくると思う。

例えば数十年前の上京は今と比べて大きく異なる。なかなか実家に帰ることもできず、連絡も手紙でのやり取りになる。ワンタッチで送信できる今と比べれば、手紙によって得られる充足感、満足感はとてつもなく大きかっただろう。

大きな達成感というのは不便を乗り越えることで生まれると思う。限られた時間で誰かと話したり、遊んだり、時間を共に過ごしたり。行動に対してのハードルが存在しない世界に変貌を遂げたとは思えないが、乗り越えるべき障壁は限りなく低くなってきてると思う。逆に簡単に他人と接することが出来る事で、他との繋がりの弱さ、空虚感を感じることがあるのではないだろうか。

 

環境は時間を経て目まぐるしく変化する。スマートフォン、AI、仮装通貨。我々はその変化の中に存在している。繁栄の陰でゆっくり衰退し、消えゆく様を見守っていきたい