魚の切り身、大海を泳ぐ。

 

今の子供は「魚が切り身の状態で海を泳いでいる」と認知していることをご存じだろうか。小学生が切り身が泳いでいるのをたまたま見た、というわけではなくて、スーパーにある切り身状態のものでしか魚見たことが無いためにそのような思考に陥るのだろう。環境がそうさせているのである。

 

この話を聞いた時は「最近の若者は、、、」みたいな事を思ったが、私にも同じような事があった。それはタコの色だ。

 

みんなも同じように認識してないだろうか。「タコの色は赤色だ」と。だが、実際は赤褐色だ(これは個人の感性によって異なるのかもしれない)。でもどうだろう。スーパーで見るタコの刺身なんかも、下処理で茹でてあり、赤々としているものだし、デフォルメなのかなんなのか、たこ焼き屋のフザケたように書いてあるタコの絵も赤色で塗装されている。別に自分を擁護するわけではないが、これなら間違えてしまっても仕方ないのではないか。

 

 

事実、人生において、環境というのは非常に重要だ。一説によると、個人の能力というのは環境(才能)と努力の半々で形成されているらしい。これまでの人生を振り返ると家庭・学校とそれなりに良い環境で過ごした。指標は絶対的なものでは無いのだけども、そう感じるということは悪くはなかったんだと思う。だからもし親が「タコは赤色だ!真っ赤っ赤だ!」みたいなことを言う家庭だったら、今の自分は一体どうなっていたのだろう。想像すらすることが出来ない。

 

可能性は限りなく低いが、もし家庭を持つような事があるとすれば、そのときは私という父親が、子供にとっての魚の切り身になってないことを祈る。そう切に願っている。

あのドイツ旅行を振り返る。

 

初めての海外旅行

私は大学の卒業旅行でドイツに行きました。

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なぜドイツかというと、仲間内でなんとなくヨーロッパ方面に行きたい、という話になりましたが第一希望のイタリアのツアーが取れませんでした。そこで、ヨーロッパの中で比較的治安も良く、食べ慣れた食事が多いドイツにしようというように決まったのです。私自身初めての海外旅行ということもあり不慣れなところもありましたが、それなりに楽しめました。まだ旅行が終わってから日が浅いので、写真と共にドイツ旅行を振り返っていきましょう。

 

遠い遠いドイツに行くには

日本とドイツの時差は7時間あります。距離にすると9043kmもあるそうです。日本からドイツへの直行便は存在しますが、一人当たり+70000円かかってしまうので、ドーハ経由の安価な飛行機で向いました。勿論中東ですから、英語の他にもアラビア語で表記されています。右から左に読むそうです。

また手続きを済ませると、すぐ黄色い巨大なクマさん(?)が迎えてくれました。よく見ると頭から胴体にかけてデスクライトが刺さってます。ムツゴロウさんに怒られそうですね。f:id:ekusoyr0519:20180406004145p:plain

 

ドーハ空港は世界有数の巨大なハブ空港ですので、深夜でも沢山の人で賑わっています。中東の人だけではなく、ヨーロッパ圏の人、そして我々と同じアジア人も乗り継ぎの便を各々の過ごし方で待っているようでした。

カタール航空を利用しましたが、乗り継ぎ時間が1時間なのでうかうかはしてられません。日本からドバイまでの約12時間のフライトを済ませたら、さらに7時間の移動が待ち構えてます。計19時間飛行機での移動は辛いだろうと思うかもしれませんが、世界一の航空会社なだけあって思いの外快適でした。

www.qatarairways.com

機内では座席前方のディスプレイで最新の映画やゲームなどを楽しむことが出来ます。映画だけでも300タイトル以上ありましたので、退屈で困るということはないですね。また2回出た機内食もなかなか美味しく、アルコール等も飲み放題だったのはよかったです。

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フランクフルトに到着、ドイツの食事について

長いフライトを終えて、着陸したのは昼過ぎ。行きだけは現地ドライバーの送迎付きです。ドライバーが私達を見つけるや否や「Go」とだけ言われ車に載せられました。やたらぶっきらぼうなドライバーでしたが、同席したのが東京の大学生でしたのでドイツの話で盛り上がったのを覚えています。

 

ホテルにチェックインし、シャワーを浴びてリフレッシュしました。ドイツ料理の事前調査で「とにかく肉とジャガイモとビールしかない」と書いてあったのをみつけました。なるほど、ジャーマンポテトという食べ物が生まれたのは必然なようです。

正直料理に関してはあまり期待してませんでしたが、かなり美味しかったです。下の写真は白ウィンナーです。日本のものとは違い、半分に切り皮を剥いて食べるのが主流だそうな。

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このビールは1Lあります。ドイツクオリティーですね。

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他にもシュニッツェル(ドイツ風カツレツ)やピザなどもありました。写真からわかると思いますが、一皿一皿がとても大きいです。この食事以降は二人で一皿頼みました。

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また食事をしたビアホールでは毎日金管楽器による生演奏が行われていて、音楽に合わせて皆手拍子を叩きます。平日でしたが大変賑わっており、日本では到底見ることがない風景でした。

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ここでレストランでの私の写真を紹介しましょう。

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明らかに様子が変です。白目になっているのは過度な疲労と、料理への期待から得られる高揚感によるものだと思われます。絶命しているわけではありません。

 

ドイツでの観光

勿論、旅行ですから観光地も様々なところを周りました。

 

ドイツの大都市には市庁舎(日本で言う市役所)とその付近に広場があり、そこが主な観光スポットになっています。市役所が観光地になりえるのか、と疑問を抱くかもしれませんが、バロック様式のとても美しい建物です。

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夜もライトに照らされて壮大でした。

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次は世界遺産ケルン大聖堂です。写真では伝わりにくいですがとても大きかったです。ミサの時間もあってか、観光客の他にキリスト教信者の方々が祈りを捧げてらっしゃいました。

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次はノイシュヴァンシュタイン城です。名前だけ聴くとパッとしないかもしれませんが、シンデレラ城のモデルになった城と言えばイメージしやすいでしょうか。この城はドイツ南部のほぼ国境付近に位置し、アルプス山脈に囲まれています。これを作った王様は孤独を好み、生涯をこの城でひっそりと暮らしたのだとか。この背景を知ると、壮大な中にも哀愁があるように感じますね。

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最後は現地の様子を紹介します。これは電車の窓から撮った風景です。緑の芝生に赤レンガがとても映えます。また住宅の他にも小さな小屋が乱立しているのがいくつも見受けられました。後日調べたところバーベキューをする建物らしいです。なんとも贅沢な土地の使い方でしょうか。

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これはスーパーで売ってあるビールです。どれも500mlの瓶ビールが1ユーロほどで売られていました。種類も豊富で羨ましい限りです。

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たまたま通りかかった広場で子どもたちが遊んでる様子です。旅行という非日常の中にもしっかり日常が存在しているんですね。

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ドイツ旅のまとめ

ドイツは海外が初めての私にとって、とてもいい国でした。その理由として、

  • 治安が良い
  • ご飯が美味しい
  • 英語が通じる

これらの3つが挙げられます。もし初めて海外旅行をする方は、これらを重視して行き先を決めると良いかもしれません。

一回行けば海外は満足するだろうと思っていましたが、いざ行くと他の国に行ってみたくなるものですね。また行く機会があれば、旅行記を書いていこうと思います。

久しぶりの卒業式だったけど、思ったよりなんてことないなあ。

懐かしき卒業式の思い出

人生の中で自分が主体(自身の卒業)の卒業式を4回経験した。私自身卒業式に思い入れがあるわけではない。そもそも、聞き慣れた友人の名前が淡々と呼ばれ続け、校長と会ったこともないおっさんの話を聞くだけじゃないか。特に小学生の時は落ち着きが無かったため「早く終わらねえかなぁ」なんて思っていた。友人はかなり泣いたりもしていたが、私はなんとなく卒業しても会える気がしていたし、寂しくはなかったので泣いたりはしなかった。ただ、それぞれの卒業式を振り返れば、同級生の顔がぼんやりと浮かんでくるし、楽しかった思い出がどんどん脳内に入り込んでくるので、案外悪いものではないとは思う。

 

 

 

卒業式当日とこれからのこと

勿論大学の卒業式も何事もなく終わった。謝恩会も見かけ上、全員参加しているが、よく見ればグループ(いつメン)で固まって飲んでるので、さほど変わりなく終わったと思う。離れ離れになる友人と就活の時の飲酒や海外旅行に行く約束をした。遠くに就職すれば再会することが困難になるが、あたかも明日からも毎日会えるかの如く振る舞っていて、誰も泣いたりなどしなかった。

紆余曲折あったが4月から大学院生だ。多少の環境の変化はあるだろうが、またさほど変わらない生活が待っている。講義、バイト、研究室の他にも恋愛とかを始めて行きたいね。

 

それでは、はじまりはじまり。

 

バスは思ったよりも苦しい

高速バスが苦しい。



もちろん、地球温暖化が原因で車内の酸素が欠乏しているわけではない。バスの筐体自体が真空パックの如く乗客を圧迫してなどいない。




とにかく車内が居心地が悪いのだ。




過剰な暖房による暑苦しさ、はたまた席の狭さによるプライベートの欠如、時に両方の要因が重なり干渉してくる。




この息苦しさを意識し始めたのはいつ頃からだろう。乗客数が少ない南国交通は明らかに手を抜いてる。移動距離、乗客数によってバスの設備基準が異なるのだろうか。




目覚めに悪い。

レンタルDVDショップの衰退に思う事

どんどん減りゆくレンタルDVDショップ

先日少し遠くへ自転車で向かっていると「閉店」と紙が貼られたレンタルDVDショップが建っているのを見かけた。無理もない。このご時世で個人のレンタルDVDショップを経営していくというのは「火打ち石で毎日火を起こします」と言っているようなものだ。

インターネットを介してコンテンツが流布されるようになってからまだ間もないが、ネットラジオ、動画投稿サイト、また近年では定額での音楽・映画配信、民放のネット進出など様々なメディアがインターネットに集約しつつある。私が中学の頃母が「TSUTAYAが潰れたら日本は終わりね。」みたいな事を言っていた。もちろん母は経済評論家でもなくTSUTAYA雇われ店長でもない。当時それほど勢いのある企業であったことの隠喩である。ところが現在ではどうだろう。業界最大手ですら「TSUTAYAオンライン」等と称して対策を打っている。それだけインターネットの進歩は凄まじい。

 

散々お世話になったTSUTAYAの思い出

かく言う私も中高はTSUTAYAのヘビーユーザーであった。

帰り道にDVDの旧作を4本借りて家で見たり、学校の制服を着ているにも関わらず、友人とアダルトコーナの暖簾付近を出たり入ったりしたものだった。その中でもひときわ思い出深いのがCDの中古コーナーだ。TSUTAYAではレンタルCDとして使用していたものを中古としてワゴンで売っている。これが私にはお宝さがしをしているようでたまらなかった。知っているアーティストのCDを見つけると、大して聴きもしないのにすぐさま買って家に帰った。元がレンタル用なので、バーコードとタイトルが記載されたシールがべったりケースに貼られているわけではあるが、別段気にも留めなかった。見つけたという喜びだけで満足だった。

その後大学に進学したが、TSUTAYAを訪れる機会はめっきり減り、当時ぼんやりと思い描いていた「大学生になったらR18コーナーに入る」という夢もなんとなく叶えられずに終わった。

 

 

時代とともに廃れるもの

技術の進歩は様々な不便を取り除いてきている。欲しい知識はすぐに見つかり、交通機関の発展により移動時間が短縮され、そしてスマートフォン・PCの普及により遠く離れても手軽に意思疎通できるようになった。技術の発展は歓迎されるべきであるが、それによって失われるものも出てくると思う。

例えば数十年前の上京は今と比べて大きく異なる。なかなか実家に帰ることもできず、連絡も手紙でのやり取りになる。ワンタッチで送信できる今と比べれば、手紙によって得られる充足感、満足感はとてつもなく大きかっただろう。

大きな達成感というのは不便を乗り越えることで生まれると思う。限られた時間で誰かと話したり、遊んだり、時間を共に過ごしたり。行動に対してのハードルが存在しない世界に変貌を遂げたとは思えないが、乗り越えるべき障壁は限りなく低くなってきてると思う。逆に簡単に他人と接することが出来る事で、他との繋がりの弱さ、空虚感を感じることがあるのではないだろうか。

 

環境は時間を経て目まぐるしく変化する。スマートフォン、AI、仮装通貨。我々はその変化の中に存在している。繁栄の陰でゆっくり衰退し、消えゆく様を見守っていきたい