型のない文章。

 

最近俳句にとても関心がある。バイト中お~いお茶のラベルに書いてある俳句コンテストの優秀賞みたいなものを見つけたのがきっかけだった。やはり俳句の良いところは五七五であるところだと思っていて、決められた文字制限の中で季語や自分の言いたいことであるとか見たことを書くのはとても至難の技であると考える。人間、自分の無いものを持っている人に惹かれるとはよく言ったもので、私自身芸術だとか文章作成の才を全く持ち合わせていないので尚の事俳句が美しいと感じるのだろう。

 

 

論理的な説明や読みやすい文章を書く技術とかを昔ネットで調べて勉強したこともあったけど、なんというかこちらが道を整えなくても読み手を信じてあげれば大体は理解してくれるだろうし、別に理解されなくても私はこういうふうに記事として記せればいいから後先のことなんて知ったことではない。お金をもらって記事を書いてるならまだしも一円も稼げない、ましてや十数人程度しか見てないこのブログにおいてはこのスタンスで十分だなと思う。そもそも「話す」に対して「書く」の情報量が少なすぎると感じていて、バイトの後輩への仕事指示も本当はメモするのが良いのだろうけれども、面倒なので全部口頭で指示する日もある。そんなもんだろう。

 

 

今年の夏吉住と遊んでた時にバスの中で知らない白髪のおばあちゃんに戦争の話を聞かされた。確か「北朝鮮は危険な国だ」とか「頭ごなしに安倍政権を批判するのはダメだ」みたいな話で話が長すぎていい加減飽きが来てたけど、最後に「ごめんなさいねぇ~私若い人と話すの好きなのよねぇ~ありがとうねぇ~」と言われ飴をもらったので悪い気分では無かった。帰りにきたねえ屋台でわけのわからないたい焼きの中にカスタードクリームの入ったものを買って、吉住が明らかに生地が破れて中のクリームが漏れてる方を渡してきたことに憤りを感じたけど、たい焼きがあまり好きでは無くてどうでも良くなったし、今思えば許容の多い1日だった。

 

ただたい焼きの中にクリームやっぱりたい焼きはあんこだからこそたい焼きであるのであって、カスタードクリームを入れて女子ウケを狙おうという目論見がみえみえだと思うのは多分俺だけじゃないし、お祭りに現れるテキ屋が、スーパーで買った牛肉を串に挿して焼いたものを600円で売ってるのもおかしいはずだよなって誰にも言えなかったけど、今日ここに思いを吐露出来ただけで今日はとてもいい一日だったなと思う。

 

良い日かに玉、悪い日めんたま