花も団子も愛してる

この週末で山梨に旅行した。

昨年度の夏から山梨にはちょこちょこ足を伸ばしていたが、いづれも夏のキャンプが目的であり、秋に行ったのは今回が初めてになる。

 

長野に面した山の麓にある後輩の実家にお邪魔して、夕方からBBQを始めた。

久しぶりの寒さが辛かったが、炭火の熱で暖を取りながらたらふく食べた。今年は異例の猛暑が10月まで続いて感覚が麻痺しており、ようやく秋が来た。と肌で感じることが出来た。あと数ヶ月もすれば年末になり、また新年が待っている。

 

BBQでの焼き野菜やおにぎり、翌朝の朝食と、後輩のご両親からたくさんおもてなしをいただき、2日目の昼にはレンタカーで実家を後にした。

 

昼からは温泉に入り、山梨の森の中をドライブした。先述した猛暑の影響で紅葉の時期が遅れるのではないかと懸念していたが、運良くベストシーズンだったらしい。新緑の中に赤々とした紅葉が映えているのを一目で確認することが出来た。本当に綺麗だった。

 

紅葉を眺めていたら、その昔祖父母がよく山に連れて行ってくれたことを思い出した。色づいた紅葉が見えるスポットに車を止め、そこにレジャーシートを敷いて弁当をみんなで食べていた。小さい頃は紅葉の良さも私を連れて行ってくれた祖父母の気持ちも分からなかったが、今ならわかるような気がする。

大人になり東京に来てから沢山の飲食店に行った。その中で、極稀に自身の想像を遥かに超える美味さの食べ物に出会えることがある。その時の驚きと感動を味わうために、今もなお飲食店を開拓しているわけだが、そんな感情に今回は飲食店ではないところで出会えた。そんな旅行になったと思う。

 

日も落ちてきたので、各人の住処である東京に帰ることにした。その帰りの運転は途中から私が担当することとなった。所謂ペーパードライバーで実に5年ぶりの運転だったが、下手くそなりに勘を取り戻していったと思う。そして助手席には友人に座ってもらい、懇切丁寧に道案内してもらった。ありがとう。

 

曲がりくねった山道を何とか抜けると、真っすぐで広い道に出ることが出来た。

街灯と対向車線ですれ違うヘッドライトが次第に増え、明るくなった道は随分運転しやすい。

そして車を走らせるうちに、あたりの情景がたくましい木々から灰色の建物群へと徐々に移り変わっていった。

酒を飲むために働き、働くために酒を飲んでいる。

自身の健康を考えて、今年の5月から緩い禁酒を始めた。

飲酒日を週5回→2回に減らし、飲酒日以外で我慢出来なくなったら箱買いしたノンアルコールビールを飲んでいる。

www.suntory.co.jp

 

禁酒を始める前はしんどいかと思ったが、慣れたらなんてことはない。飲酒による浪費や浅い睡眠はなくなり、ダイエットの効果もあってか腹回りがスッキリするなど良いこと尽くめだ。

もちろん、酒自身は今も好きだ。乾杯のときの高揚感、ビール一口目の爽快な喉越し、深酒時の浮遊感、全部飲酒によって手に入れることができるから。

 

 

最近気がついたが、大学時代よりも酒が美味いと感じることが増えた気がする。おそらく、社会人として平日毎日働いているからだろう。華金で愚痴をこぼし、肉体的/精神的ストレスををビールで流し込むのは、また違った楽しさがある。”空腹は最高のスパイス”と言うが、ストレスが最高のツマミなのかもしれない。

 

それに、大前提として、働いて金を得ないことには酒を飲むことは出来ないのだから。

 

また、その昔完全な禁酒を試みたが断念した。酒を飲めないストレスが蓄積して不眠や肌荒れが発生したからだ。このような経験を通して週2回という設定に落ち着き、今はメリハリを付けて酒を飲んでいる。

働くためにはどうやら飲酒が必須らしい。

 

 

このように癪に障るマッチポンプを目の当たりにして、本記事のタイトルを決定した。

酒を飲むために働き、働くために酒を飲んでいる。

 

一方で、ストレス起因以外で酒を飲むことももちろんある。

アラサー同士で遊ぶときにはお酒が絡むと相場が決まっているからだ。逆に遊ぶときに酒を飲まなかったのはいつが最後だろうか。

もちろん友人と卓を囲みながら酒を飲むのは最高に楽しい。酒を飲みながら話すことで本音で語り合えるからだ。しかし厳密には、本音で語り合えていると思っているから、というのが正しいかもしれない。

 

 

人は誰しも、他人から良く思われたいと考えることがあるだろう。

だから、私への自己開示や耳をくすぐる甘い褒め言葉は、ある意味一種の戦略なのかもしれない。

それでも、もし仮に飲みの場での会話が意図的に創造されたものであっても良い。戦略から表層した本音だと思ったものが、本当は結局戦略でしかなかったとしてもそれでいい。

 

 

そういうことを思いながら、これからも日々酒を飲もう。

 

 

 

今は家で缶チューハイを飲んでいる。

これからシャワーを浴び、寝間着を着て布団に入る。

明日からまた仕事が待っている。

 

乗り継いで、乗り継いで、目的地に行く

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 昨日に取得した有給休暇と土日を含めて3連休だったため、3日とも電車に乗って遠くまで行った。現在東京の西側にある多摩地区に住んでおり、このように休日は長い時間電車に乗ることがある。どこに行くのも遠いため、複数人で集まる場所を決めるときに、私の居住地は考慮されないことが多い。しかし、言い換えればどこへ行くにも電車で行けるということになる。東京は複数の路線及びダイヤがインフラとして機能しており、私の体感で言うのであれば、都内であれば乗り換え3回且つ1時間20分以下で移動することができる。

 

 例に漏れず、この3日間全て1時間以上かけて移動した後に友人と遊んだ。私は新しく知り合った人と遊ぶことは親しい友人とのそれと同様に楽しいと思っている。前者は刺激、後者は安らぎを与えてくれるからだ。この期待を裏切らない、充実した3日間を送ることができた休暇となったと思う。

 

 話は変わって、私は人よりも長い学生時代を過ごした。留年や浪人はしなかったものの、義務教育から高等教育、更には大学院の前期課程を卒業したからだ。地元の友人、あるいは高校の同級生と比較しても私は少数派かもしれない。しかしあまりに長い学生時代は、社会人になった今に比べると随分楽だったと感じることが多いように感じる。例えば、給料と共に発生する責任がまず一因に挙げられるが、それだけではないだろう。

  

 私は卒業という明確なゴールがあることも大きな理由だと思う。学校というものは、中退や退学をしない限り、入学して卒業し、また次の教育機関に入学するという極めてシンプルな構造になっている。そして、卒業する要件という形で、義務教育では文科省、高等教育では各学校が定めた教育方針や評価基準をクリアするために、日々勉学に励んでいくことを目標にして進んできた。ところが社会人になったらどうだろう?会社では年度や四半期ごとに目標はあるものの、自分の人生プランについては完全に自由だ。決まった区切りがなく、例えばこのまま同じ会社で働き続けるのであれば、間違いなく退屈な日々が待ち構えているかもしれない。

 

 だから、40数年という、学生時代より遥かに長い期間を過ごすために結婚するんだと思っていた。旧来的な思想で言えば、異性と婚姻関係を結び、授かった子供が成人するのを見届けることで、そのゴールの達成者を自分から子供に移すことで、仏教で言うところの輪廻のようなものが続いていくのだとばかり考えていた。そんな思想を持ち合わせているが故に、次々に結婚していく友人を送り届けては喜ぶ傍ら疎ましく感じていたし、そういうった境遇からは程遠い自分に引け目を感じていたんだろうと思う。

 

 ただ最近、もう少しだけならそんなに行き急ぐこともないんじゃないかと考えるようになってきた。関東に上京してから1年半が経ち、窮屈なご時世ながらも色んな人に出会えた。そんな彼らの価値観に左右されることはないものの、知らない電車に乗れば知らない駅があるように、もう少しだけ自分自身も別の場所に足を伸ばしても良いかもしれない。と感じている。目的地まで様々な乗り換え方があって、途中の駅で降りてもいいし、或いは目的地すら決まってないのかもしれない。

 

そんな妄想に今は身を任せている。

 

 

 

リハビリブログ

書くことがない。

ブログ投稿が滞っている。正確に言うなら色々なイベントが起こってはいるが、それを文字に起こす能力がない。自分なりに質の低い記事は提供したくないんだよ。もしみんなが居酒屋を構えてたらどうだろう。「今日は仕込みが上手くいかなかったから店を開きたくないなあ」なんて思うかもしれない。でも開店は必ずやってくるし、入店したお客さんには「いらっしゃい!今日はいい肴が入ってるよ!」って言うと思う。そのスタンスは見習っていきたいが、いきなり高い目標は達成できないだろうから、今日は「余った食材で作った賄い」そんな感じで書いていこうと思う。

 

鉄の塊、空を飛ぶ

最近は飛行機に乗ることが多い。思えば初めて乗ったのは5歳の頃だ。両親が旅行を趣味にしており、我々兄弟と年二回は遠方へ遊びに行っていた。慣れは刺激を奪うもので、小学校6年生に上がるころには、離陸の浮遊感や着陸の衝撃に全く動じない、つまらない子供になっていたのを覚えている。
 

狭い機内を快適に過ごそう。

飛行機は狭い。1,2時間程度の拘束だが、自由に動けない環境は思ったよりストレスを与えてくる。
そんな時に活躍するのが暇つぶし用のコンテンツだ。音楽プレイヤーで曲を聴いたり本を読んだり、或いは動画ストリーミングサービスに加入してダウンロードした映画などがあれば苦痛を緩和してくれるだろう。
 

もしくは座席の窮屈さを金銭で解決しても良いかもしれない。最近はLCCの台頭で人気に陰りをみせているが、やはりJALANAの座席は幾分か広い。サービス面でもWi-Fiが使える機体があったり、CAが可愛いかったり、ドリンクのサービスがあったりする。

 

この記事を読んでくれてる皆には是非快適な空の旅を手に入れて欲しい。

 
 

移動は疲れる。

今日は帰りの飛行機で寝て、バスでも寝た。このブログを書いてまた寝る。寝る。

 

夏のゴミ箱は楽園。

 

 

早いもので今年も7月。鹿児島もやっと梅雨が開けた。6月は雨の連続で洗濯物の所在に悩まされており「早く梅雨が終わらないかなあ」などと考えていたが、湿度が比較的高いせいか晴れたら晴れで不快指数は高めだ。

 

先週の金曜日のこと。

今日も暑いなあと思いながら家に帰ると、玄関から只ならぬ異臭が放たれていた。そして天井には目を見張るほどのコバエがたかっている。原因を突き止めるのにさほど時間は掛からなかった。

 

 

 

ゴミ箱だ。

 

 

 

最近自炊をかなりの頻度で行っていたのと朝食をバナナにしたこともあって、中は溢れんばかりの生ゴミ(とティッシュ)で埋め尽くされていた。そして風通しの悪い我が物件が生ゴミに含まれる菌を繁殖させる。まさにコバエにとっては天国に違いない。ゴミ箱内に殺虫剤とファブリーズを撒いたが、上空漂う黒い点に対しては為す術無く、しばらくの間1Kでの共同生活を強いられた。

 

 

 

そして今日は月曜日。ゴミ出しの日。

すぐさま異臭を放つ袋の口を縛り、ゴミ捨て場に出した。一体中にどれほどのコバエの卵があったのだろうか。この卵が琥珀に閉じ込められ、何千年も後にクローンとして復活する未来があったのかもしれない。

 

 

 

 

幾多の生命が生まれ消えるのと同様に、かくして楽園は滅びるのであった。

 

滅びるよね?

君を見てたら 夏だなと思った。

日本における四季の消失。

今日は朝から暑かった。まだ5月なのに、寝具を夏用に移行してるのにも関わらず、寝汗を掻いていた。近頃、朝晩は冷えていたが、朝からこの気温だ。南国には早々と夏が来る。

カーテンと窓を開ければ、昨晩干した洗濯物がもう乾いていた。こういうところは夏の好きなところだ。通常であれば、イベントであるとか、葉の色で季節の移り変わりを体感するものだろうが、こういった四季の感じ方も乙だろう。

 

昼間はじりじりと皮膚に日差しが照り付ける。多分、パンを焼くオーブンの中もこんな感じなんだなといつも思う。そんな炎天下の中、ふと中学時代のことが思い浮かんだ。

 

中学時代の思い出。

私は中学時代に初めて恋人ができた。告白されたのも今日みたいな暑い日だったと思う。動機は、私が当番の仕事を手伝ったから好きになったとかだ。案外単純だなあと思った。大抵こういうことは友人を通して伝えられる。私も恋愛経験が浅く、少々浮かれてたため、1年生の夏ごろから付き合い始めた。付き合った期間そのものが短かったので、デートもカラオケとか映画とか数えるほどしかしていない。

 

程なくしてその子は不登校になる。登校するとすぐ保健室に行き、何となく好きな授業だけ、やる気の出たときだけ来るというスタイルだった。クラスの誰かにいじめられたというわけでなかったらしいが、真相は定かではない。


こういう時は真っ先に私が手を差し伸べるべきだが、寧ろ自分から距離を取ってしまった。よくある「じぶんがイジメにの標的にされる」とかじゃなく、自分もマイナスの方に引き込まれて、不登校になりそうと思ったからだ。我ながら最低なやつだと思う。

 

不幸中の幸いではあったが、ふたりとも無事に卒業できた。卒業式当日の記憶は殆ど無いけれども、多分その子とは喋らずに終わった。

 

時が流れて。

人は思いもよらぬところで再会を果たすと思う。場所に限りは無く、直接会ったり電話越しだったり、メディアを介してだったりする。

 

数年前、たまたまその子をSNSで見掛けた。彼女は結婚していて、披露宴の写真投稿には沢山のお祝いのメッセージがついていた。自ら遠ざかった私には花向けの言葉を送る権利など無い。ただでさえ久しい旧友に声をかけるのすらはばかられるのに、出来るはずもない。

 

その後、成人式でも見掛けた。式の前に子供を抱えて友人と楽しそうに喋っていた。

 

もちろん、一言も話すことは無かった。

ゲーム配信に舞い降りたケイン・コスギ。

ケインとLoL

 

もう話題になってからしばらく時間が経ってしまったが、ケイン・コスギがゲーム実況をしているということをご存知だろうか。ゲームは私もプレイしている『League of Legends』だ。世界で最もプレイ人口が多いゲームと言っても過言では無く、2017年時点では1億人を超えている。

 

https://jp.leagueoflegends.com/ja/

 

私はこの事を知った時に少し残念な気持ちになった。

 

なぜなら「またゲームが著名人によって利用される。」と感じたからだ。現に今までもこの流れは沢山見てきた。アイドルやお笑い芸人がやったことが無いゲームをやって、それでお金を稼ぐ(有野のゲーム◯ンターCXなどがいい例だろう)。ファンにとっては少しは手軽に触れ合う機会にはなり得るだろうし、別にそれ自体が悪いとは思わない。けど、同じゲームをやってる身としてはモヤモヤしてしまう。

 

 

ただケインは違った。彼は純粋にゲームを楽しんでいた。アカウントも自前のものだし、他プレイヤーに対しての悪口を一切言わない。有名が故にネガティブな発言は控えてるのかと思ったが、ただただ前向きなだけで、チームメンバーもそのポジティブさに鼓舞されていたように感じる。

 

配信を見た感想。

 

率直な感想として、ケイン・コスギLoLをかなりやりこんでいるし単純に好きなんだと思った。

 

決してランク的に上手いわけでは無いが、豊富な知識や1ゲームでの試合の流れをしっかり意識していて、完全に”配信のためのゲーム”では無かった。試合に勝ったら「Perfect Body!」と流暢な言葉を話すし、勝ったら腹筋、負けたら腕立てを30回する。という配信の特色はケインならではだと思う。

 

TV番組のように大幅なリアクションをとるわけではなく、画面を見つめて黙々とゲームに取り組んでいる。これを見ると少し笑けてしまう。あの筋肉番付に出ていた、あの跳び箱20段のケインが黙り込んでマウスを「カチカチカチ」とクリックしているのだ。面白くないわけがない。

 

 

clips.twitch.tv

 

配信に愛を込めて。

私はケインの配信にすっかりハマってしまって、今では毎回のように観ている。だから細やかではあるが月4.99$のドネート(寄付)をしている。これは、ドネートをすることでチャンネル内でケイン・コスギのスタンプを使うことが出来るという配信サイトの仕様である。

 

ケインにとっては月5ドルなんてホントに大したことないかもしれないけど、それでも、面白いケイン・コスギに、そして観てて楽しい実況に対しての感謝の気持ちが少しでも伝わって欲しいんだ。

 

 

近年、漫画村やanitubeなどの脱法サイトが話題になり、国をあげての規制が行われた。無料で色んなコンテンツに触れられる今だからこそ、「面白いなあ」と思ったものには、お金なりの対価を払うべきだと思う。製作者の生活のため、そして作品に対する労いのために。

 

 

ケインは同時視聴者数が1.7万人を超え、一時的に世界1の有名配信者になった。勿論、人気にはアンチがつきもので、心無い言葉がチャットに書かれることもあるけれど、「跳び箱20段飛べてゲームも出来るなんてすごいですね」とか「もっとこうするといいですよ」とかそれくらいで良かったんだ。

 

clips.twitch.tv